ツイていないことに関して考察することはツイていない状況の改善に寄与するか否か

今日は、トイレ(大)に入って用を足したら紙がなかった、という、まるで漫画のような出来事に見舞われた。

さらに、たまにはちょっとリッチに外食でもと、仕事帰りにわざわざ嫁さんと待ち合わせて出かけたのに、目当ての店が臨時休業だったという出来事にも遭遇した。

 

悪いことは重なるものだとよく言われる。今日みたいなことがあると、そういうものかと思わなくもない。何をしてもツキがないときというのは、誰しも経験があるものだ。ただ、今日みたいな場合はともかく、悪いことが続けて起きるのにはそれなりの理由があるのではないか、と思うこともある。例えば、「体調がよくない」ということと、「仕事で失敗した」ということが、近い時期に起こった場合。

もちろん、たまたま続けて起こった場合もあるだろうが、「体調がよくない」から「仕事で失敗した」とか、逆に「仕事で失敗した」ために「体調がよくない」状態になってしまった、ということも、往々にしてあるはずだ。つまり、「ツキがない」から悪いことが続いたのではなく、一つのマイナス要素が他のマイナス要素を引き起こしてしまった、というケース。

「ツキがない」を理由にしてしまうと、それはしょうがないと諦めるか開き直るかしか対処のしようがないが、起こった複数のマイナス要素に何らかの相関関係があるなら、その関係を断ち切ることでマイナスの連鎖を防ぐことができるように思う。「体調がよくない」なら、まず体調を万全にするべく休養するなり、平常よりペースを落とすなりして、仕事で失敗しないようにする、とか。「仕事で失敗した」なら、そのことで過度に思い悩まないように気を紛らわせるとか、あるいは次の機会に目を移すとかして、精神的なダメージを未然に防いで体調を維持する、とか。

もしかすると、今日の僕に起こったような、複数の一見関係のない「不運な」出来事の間にも、何か関係があるのかも知れない。それを「ツキ」と仮に呼ぶなら、「ツキ」をよい方向に修正する方法も、何かしらあるのかも知れない。単に諦めたり開き直ったりする以外に。いやまあ、クヨクヨ思い悩むよりは、早々に諦めたほうがだいぶマシだと思うけど。