犀星の「小景異情」と僕

昨日8月1日は、泉鏡花徳田秋声と並んで「金沢の三文豪」と称される、室生犀星の誕生日だったそうだ。

我が郷土金沢の誇りであり、僕自身もリスペクトしてはいるが、恥ずかしながら犀星の作品はほとんど読んでいない。だが、かの「小景異情 その二」だけは、今でも諳んじることが出来るくらい、僕にとって印象的な作品だ。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの 

 

この冒頭の2行が殊に有名だが、僕がより強く心を動かされたのは、これに続く

 

よしや

うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

帰るところにあるまじや

 

という一節である。

 

僕は、金沢で生まれ、東京の大学に進学し、東京で就職した。

東京にいた頃の僕は、もう金沢には帰りたくないと考えていた。金沢という街は大好きだし、そこに生まれたことは誇りにさえ思う。けれど、金沢がいかに魅力的であろうともそれとは関わりなく、ただ、そこが故郷であるという一点において、強い拒否感を当時の僕は抱いていた。懐かしさは感じる。郷愁もしばしば感じる。それでも、故郷は「帰る場所」ではないと、僕は考えていた。

それは、故郷を「捨てて」東京で社会人となった以上、おめおめと故郷に戻ることなどできないという、少々気負いすぎた思い込みだったのかも知れない。別に故郷を捨てたわけでもないのだが、「捨てるくらいの気持ちを持っていないと東京でやっていくことなど出来ない」と思い込んでいたのかも知れない。

犀星の「小景異情」は、そんな風に故郷を「捨てようとしていた」僕の心情と見事にシンクロした。僕は東京で辛いことがあるたびに、「小景異情」の「帰るところにあるまじや」というフレーズを、おまじないのように心で唱えていた。故郷に帰って心休まりたいと思う自分の気持ちを、甘えと感じて、それを無理矢理に断ち切ろうとしていたのかも知れない。

 

その後色々とあって、30歳を過ぎた頃に、僕は故郷の金沢に戻った。

「帰るところにあるまじ」き故郷に再び帰ってきてしまった僕にとって、犀星の「小景異情」は、もはや気恥ずかしくて読み返すことが出来ない作品になってしまった。結婚して金沢に(正確には金沢市内ではないが)居を構えた今になっても、東京にいた頃の故郷に対する気持ちは、どこか懐かしく痛痒いような形で、僕の心のすみっこに居座っている。