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大河ドラマ「義仲と巴」は実現するか? ~「義仲・巴フォーラムin石川」に行ってきました~

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今日は、石川県津幡町で開催された「義仲・巴フォーラムin石川」に行ってきました。

木曽義仲源義仲)と言えば、朝日将軍とも呼ばれた源平時代の武将。そして巴御前は、彼に付き従った女武者。日本史の教科書にも必ず出てきますし、最近ではゲーム「モンスターストライク」にも登場しました。この義仲が名を上げた「倶利伽羅の戦い」の舞台こそ、この石川県津幡町にある倶利伽羅峠なのです。津幡町では、町おこしとして木曽義仲巴御前大河ドラマを目指しており、今日のフォーラムもその一環として開催されました。

フォーラムでは、「世界一受けたい授業」などでもお馴染みの歴史研究家・河合敦先生による講演と、地元小学校の児童による歌、そして無名塾出身の女優・若村麻由美さんによる平家物語「木曽最期」の語りが披露されました。

正直、田舎のイベントなんで大して人も来てないだろうなーとか思ってたんですが、会場の津幡町文化会館シグナスは、あいにくの雨天にも関わらず満員! キャンセル待ちも出るくらいの大盛況でした。参加者の半数は津幡町の方とのこと、地元の人たちが大河ドラマ誘致にかける強い思いがうかがえました。

 

河合先生は木曽義仲巴御前源平合戦の真実~」というテーマでお話をされました。スライドを活用して、テレビと同じく親しみやすい語り口で、木曽義仲巴御前の生涯について分かりやすく解説してくださいました。また大河ドラマ誘致の成功の秘訣?についてもお話がありました。

例えば、義仲という人は、以仁王の平家討伐の令旨に従って挙兵するまでの前半生は、ほとんど記録が残っていません。生まれた場所さえ定かではない。このように記録が少ないことは、実は大河ドラマにおいてはメリットでもあると先生は言います。その分、創作できる範囲が広がるからですね。有名な人物で史料も確実なものが多く残っていると、創作の範囲はどうしても狭まってしまいます。多少話を面白おかしくふくらませても変にツッコミがこない、というのは確かにメリットでしょう。

実際、現在大人気の大河ドラマ真田丸」の主人公真田信繁も、大坂の陣以前は何をしていたかよく分かっていない部分が多く、三谷幸喜さんは大いに創作の腕を奮ったのでは、という先生のお話でした。また、「篤姫」以来、NHKは比較的マイナーな女性を大河ドラマの主人公にしたケースも多く(「江」「八重の桜」「花燃ゆ」あたりですね)、もちろん巴御前はマイナーとまでは言えないと思いますが、義仲と巴は大河の主人公になれる素質は十分にある、というお話でした。

そして、義仲の生涯についての解説です。義仲は挙兵してからわずか3年で京に入り、征夷大将軍となります。これは義仲の戦上手ももちろんあったのでしょうが、歴史の流れ、勢い、すなわち時勢が義仲に味方したのだ、とは先生の言葉です。一介の田舎武士が、当時権勢を極めた平家を打倒し、京に入り、またたくまに天下に号令する将軍となった、おそらく義仲自身が一番驚いていたのではないかと。つまり、義仲は

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平安末期のピコ太郎だったのではないか、と先生。会場は笑いに包まれました。

また、無位無官の一介の武士が、クーデターにより政権を奪取したのは前代未聞であると。平清盛は武士ではありましたが、自ら貴族となり太政大臣になった上で政権を握っていますからね。その意味では義仲は革新的な人物、織田信長にも匹敵するのではないかと、ちょっと地元でのリップサービスも混じっているのでしょうが、河合先生、義仲を持ち上げまくってます。

その他、平家物語源平盛衰記にて語られる義仲のエピソードから、義仲と、後に彼を討伐し幕府を開く源頼朝との決定的な違いについても言及されました。彼らの違いとは、一言で言えば情けの深さ。義仲という人は、心優しく情に厚い、頼まれれば断れないタイプだったのではないかと。それゆえに滅んでいったとも言えますが、冷徹非情な頼朝とは好対照をなしており、大河ドラマになるとすればこのあたりはキャラクターが立ちそうですね。

さらに、かつて義仲に対する評価が悪人であるとされた理由についても言及されました。義仲は、江戸時代の講談などではヒーロー的な扱いを受けており、決して悪人のイメージはありませんでした。それが一変するのは明治になってから。それは、彼が天皇家(というか、当時の実権を握っていた後白河法皇)と対立してしまったからです。明治期以降の皇国史観において、義仲の言動は悪人のそれとされました。また、入京した義仲の軍が乱暴狼藉をはたらいた、という話もそのまま受け取ることはできません。当時は軍の兵糧などは現地調達が当たり前であり、そして義仲の軍は近畿の源氏方勢力を取り込んだため当初の想定を大きく上回る規模になっていたことと、飢饉が重なり食料そのものが不足していたこと、という悪条件が重なったため、義仲が入京したことで京の食糧事情が悪化したことが「乱暴狼藉」とされたのではないかと、つまり致し方ない部分があったのではないかというのが先生のお話でした。

その義仲悪人説は、戦後になっても改められませんでした。その一つの理由として、源義経の存在があります。日本人の気質とも言える判官贔屓は、義経の敵役である義仲を悪人とみなしてしまいました。近年はようやくその評価も改められ、例えば日本史の教科書では義仲に対する記述は中立的なものになっているそうです。ただ、その分影が薄くなったとも言えます。

ところが一方で、高校生の間での義仲に対する知名度は近年では上がっているといいます。それは、平家物語の「木曽最期」が多くの古文の教科書で取り上げられるようになったからです。「木曽最期」は義仲の巴に対する愛情、そして義仲に最後まで付き従った家臣で乳兄弟の今井兼平との友情が色濃く描写されており、それが昨今の日本人の感性にマッチしているのでは、との先生の言葉です。そう考えると、義仲こそ現代の大河ドラマにふさわしい、と言っても過言ではないのではないでしょうか…?

 

河合先生の講演の後に、地元の小学校の児童による「倶利伽羅峠の歌」が披露されました。義仲が大活躍した倶利伽羅の戦いを歌った歌で、可愛らしいものでした。

そして、若村麻由美さんによる平家物語「木曽最期」の語り。これは圧巻でした。生演奏の琵琶と尺八をバックに朗読される平家物語、言葉には難しい部分もありましたが、あらましは河合先生の解説や若村さんの朗読の前の説明があったので、理解に苦しむ部分はほとんどありませんでした。

声を張り情感を込めた若村さんの朗読に、巴との別れ、義仲と兼平の最期の姿をありありと目に浮かべることができました。

 

無料でこれだけいいものを観させてもらったのがもったいないくらい、参加する価値が大いにあった催しでした。

河合先生のお話によれば、大河ドラマの誘致の「成功率」は3割ほどだそうです。もう3年後まで大河ドラマの内容は内定しているわけですが、その次の年、あるいはもっと先となっても、木曽義仲巴御前大河ドラマとなる日がくることを祈りたいと思います。