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「運を使い果たす」ことなどないと思う

ほんのちょっとした「ツイてる」出来事が起こったとき、「こんなつまらないことで運を使い果たして…」と言う人がいますね。つか僕はさっき言われました、嫁さんに。自分でも応募したのを忘れていたフリーペーパーの懸賞の当選ハガキが来たときに。

僕、そういう考え方、嫌いです。大っ嫌いです。

まず、せっかくいいことがあったのに、テンションが下がってしまうじゃないですか。そういう、気分を盛り下げるようなことをわざわざ自分で言う人さえいますが、自虐にもほどがあると思いますね。まあ自分で言う場合は照れ隠しのような意味もあるのかも知れませんが。

それに、その考え方に納得がいかない。筋が通らない。まあ、運という科学で証明できない分野の話ですから、論理的にどうこういうのもアレなんですが、「運を使い果たして」という言い方をするということは、運というものに総量がある、限りがあると考えているということになりますね? ここんとこ、僕は納得がいかない。運って、使えばなくなるもんですかね? そもそも、意識して使うことが出来ない、いわば勝手に消えていくようなものなのに、それが限りがあるってのは、まあそういうものだと言われればそうなのかも知れませんが、何というか、不公平だなぁと。それに、運が使えば使うほど悪くなっていくものなら、年齢が低ければ運がいい、逆なら悪いということになりますが、世の年寄りはみんな不運でしょうか? 若者はみな運がいいでしょうか? 他にも色々ツッコミたいところはあるんですが、とにかく、運には総量がある、限りがある、というのは間違っているんじゃないかと、僕は思うわけです。もちろん証明なんて出来ませんよ。単に僕はそう考えているというだけの話です。

でも、そういう風に考えたほうが、少なくとも前向きです。いいことがあった後に「これで運を使い果たした、後は悪いことしか起こらない」と考えるよりは、「今自分はツイている、またさらにいいことが起こるかも知れない」と思うほうが、精神衛生上はよほどよろしい。いや、実際、運勢は波とか流れのようなもので、いいことも悪いことも連なって起きることが多いような気がするんですよね、自分の経験からも、色々な人の話を聞いても。

まあ、重ねて言いますが、証明はできませんから、実際のところはわかりません。でもまあ、わからないなりに、それをどう受け止めるかという姿勢は、確実に精神に影響があるでしょう。僕は、自分がよいと思える受け止め方、考え方を選択しているだけのことです。

 

今日は、上に書いたフリーペーパーの懸賞に当たったことと、帰りに寄ったガソリンスタンドのスロットゲームで1等が当たってリッター7円引きになったという「いいこと」が重なりました。

願わくは、明日もこの「いいこと」が起こる流れが続きますように。

実は明日は、今回の転職活動においてはじめての「面接」に行く予定なのです。