もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対~♪(古いな―)

ベッキーが会見「人を傷つけない恋愛をしたい」 | ORICON STYLE

 

人を傷つけない恋なんてあるんでしょうかね?

 

いや、僕なんて恋愛を語る歳でもなければキャラでもないし、人より恋愛経験が多いわけでもなく女性心理や男性心理に詳しいわけでもないので、その手の話に口を出すほどの者じゃないんです、そりゃ分かってるんですが、妙に引っかかってしまったので、一言だけでも。

 

そもそも恋なんて、傷ついて傷つけあってナンボだと思うのですよ。自分、相手、あるいは他の第三者、誰も傷つかない恋愛なんて存在しないと思うのですよ。思うに、恋という感情は搾取の感情。相手から、自分以外の他者から、奪い取るだけのもの。私を見て、私に話しかけて、私を抱いて、キスして。そういう、限りなく浅ましく求める感情こそが、恋の正体。恋という美しい言葉のオブラートに包まれた中身なのだろうと、僕は思うのです。
だから、恋は必ず終わるんです。それも悲しい終わり方をするのです。奪って奪ってすべて奪いとって、それでも満たされないまま自分も相手も不幸になるか、あるいはあるタイミングで「恋が成就した」と勘違いして、その時点で相手を置き去りにしたまま恋を終わらせるか。誰も傷つかない恋なんて、自分自身が恋の半ばで死んでしまったときくらいしかないと思うのです。ああ、だから心中というのは、その意味では幸せなのでしょう。美談にしてはいけませんが、本人は、おそらく恋から覚めないまま逝くのですから。
僕は、恋することを否定するつもりは毛頭ありません。そうではなく、恋をするなら、人を傷つけるくらいの覚悟を持てと。人を傷つけたからと言って諦めてしまうようなら、それは恋とは呼べないだろうと。そう思うわけです。もちろん、諦めるのも一つの考え。恋することを否定はしませんが、恋が至上のものだと、何にも勝るものだと言うつもりも、全くありません。

 

何だか言葉遊びのような文章になってしまいましたが、とにかく僕は、冒頭のリンク記事の「人を傷つけない恋愛」という文章に、ひどく違和感を感じたのですね。
いやぁ、こんな文章、シラフじゃ書けませんね。

あ、ベッキーの不倫の件そのものについては、ノーコメントで。上記の恋愛論もどきも、あくまで一般論なので。どっちかというとベッキーは好感を持っていたので、応援したいほうですが、不倫やそれへの対応については、特に意見は述べません。