五月病にはかからなかった。今度は六月病に注意しよう。

何だかんだ言って、五月病と言われるような状態になった記憶は僕にはない。もしかすると単に嫌な記憶を封印しただけかも知れないが。

たいてい、5月というものは、4月の慌ただしさの余韻と、青葉萌ゆる陽気のために、いつの間にか過ぎてしまっているものだ。まあ、過ぎるのが早かったという意味では今年もそうだった。とは言え、あまり無事に過ぎ去ったようには思えない。五月病らしきものにこそかからなかったものの、一日一日をほうほうの体でやり過ごしてきた、とでも言おうか。テンションは低い。極めて低い。憂鬱というものとは少し違うのだが、この感情にどういう説明文を付ければよいのか、よくわからない。やれやれ。