地を這ううどん怪物教にもそれなりに頑張って欲しいとか思わなくもない。

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実家の菩提寺は北陸らしく浄土真宗のお寺だが、法事のとき以外はほとんど日常生活で意識することはない。もちろんクリスマスは人並みに楽しむし、初詣は神社に行く、典型的な日本人的無宗教である。

そんなふうに宗教とはあまり深く関わりを持っていない僕は、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(以下、スパモン教)に関しては「非常によく出来た皮肉」と認識している。なので、湯切りボウル(スパモン教ではこれをかぶることで信仰心を表現できるとされる)を被った免許証の写真を認められた、という話までは笑って聞いていたが、最近報じられた、法的に認められたスパモン教による結婚式(その名も「パスタ婚」)がとり行われたという話には、少々首を傾げてしまった。

そもそもスパモン教は、インテリジェント・デザイン説(以下、ID説)を公教育に持ち込むことへの批判から生まれたものであり、パロディである。ID説が「科学であるかのように見せかけた宗教」であることを批判するために、ID説を(ID説がはらむ矛盾や問題点を)認めるならば、空飛ぶスパゲッティ・モンスターの存在も認めなければならないはずだ、と皮肉っているのである。そのスパモン教が、本物の宗教になってしまうのは、どうにも違和感がある。「宗教」を批判するためのアイデアが、その批判の対象である宗教になってしまう、という…ミイラ取りがミイラになってしまったような残念感。

どうにも、このモヤモヤ感を上手く説明できるところまで考えがまとめられていない&知識や教養が不足しているのだが、一言だけ言うならば、スパモン教はあらゆるドグマ(教義)を否定していたのではなかったか。

あまりに悪乗りが過ぎると、スパモン教への批判が生まれ、それがID説を公教育で取り上げる愚かしい行為の復活につながったりはしまいか、と、ちょっと心配になったりもする。まあ、僕ごときが心配する話でもないのだが。